ボツワナってどんな国?(その1)

私が初めてボツワナという名前を聞いたのは、南アから日本に戻ってきてしばらくの事でした。
今から思えば、南アの隣国なのに知らなかったというのもなかなか信じられないかもしれませんが、当時は自分の周りの事で精一杯で(英語も精一杯なのは今もかな?)、今でもあの当時にその国名を聞いた記憶がないですよね、不思議な事に。
余談ですが、数年前に私の友人にボツワナへ行くことになった話をすると、「今度はヨーロッパなんだ」と言われてしまい、「それはボスニアヘルツェゴビナです」、とつっこんでおきました。

ボツワナという国名を聞いた後、あるプロジェクトを調べろと言われて、間接的ですがそこからボツワナという国に関わってきたのだなと思いました。随分長い付き合いになっているな、とこれを書きながら感じています。

タイトルに戻りますが、ボツワナは一言で言ってしまうと「ダイヤモンドで成長して、ダイヤモンド一本足で国のほとんどの外貨を得て、それでも貧困の差が激しい」という答えで終わってしまうかと思います。というわけで今日のブログはこれにて、と言えなくもないですが、もう少し話をさせてください。
1966年にボツワナとして独立した当時(あと2年で独立60周年か……)この国には、それこそ文字通り、ほぼ何もありませんでした。なので、かの大英帝国も植民地化せずに、保護領にとどめた(植民地にする価値がなかった)くらいです(レソトも保護領だったはず)。

独立して以降は、割と早い時期にダイヤモンドが見つかり、そこから鉱山が出来て、ダイヤモンドを輸出できるようになって、外貨を獲得するのと同時にようやく税収が安定するようになった、と言ってもいいでしょう。ある程度の額の税金が予想できるようになったのは大きいですよね。
それまでの主要な輸出品は牛肉(今もですが)で、その輸出額は大したものではなかったはずです。もしダイヤモンドが発見されなければ、現在のボツワナはなかった、と言っても過言ではないと思います。

首都のハボロネには、新たなCBD(Central business District)が作られ、多くの町にもショッピングモールが建設され、かつて最貧国の1つと言われていたころのボツワナは、もうそこにはないと思います。その一方で、首都や賑やかな町から離れた村々が数多くあって、そこには小学校や小さな商店があるだけで(時にはスーパーマーケットもありますが)、そのような村々は国の発展から取り残されてしまった印象を受けます。いろいろな事情で(主にお金と政治でしょうか)、全ての村々に手当てをするのはすぐには不可能だと思いますが、少しずつでも国民に政府からの支援が届いてほしいです。

今回は、おおざっぱにボツワナの話をしてみましたが、次回はボツワナの産業の話をしてみたいなと思っていますが、その前に、そろそろ国内のサッカーリーグが始まると思うので、そのあたりになるかもしれません。